映画「杉原千畝」

Unknown-1映画「杉原千畝 スギハラ・チウネ」を見た。杉原は第二次大戦初期の1940年、リトアニア領事代理(責任者)だった時に、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民に日本通過ビザを2139枚発給し、同行家族を含め6000人にのぼる命を救った外交官だが、諜報(ちょうほう)活動=インテリジェンスの専門家だったなど私の知らない事柄も多く、また、ソ連の武力併合目前のリトアニア、ドイツとソ連に分割されて国が消滅したポーランドの悲劇など当時の欧州情勢が描かれ、見応え十分。

侵攻したソ連軍により領事館が閉鎖されたあとも杉原千畝はホテルで、さらに列車が出る寸前まで駅でビザにペンを走らせ印を押し続けた。その後赴任したドイツではナチス・ゲシュタポに命を狙われる。

唐沢寿明主演。小雪が妻の役。9割以上が彼の赴任地だった外国のシーン(満州、リトアニア、ドイツ、ルーマニア)で出演も外国人俳優の方が圧倒的に多いため、ロケはポーランド(私自身訪問したことがあり縁の深い大好きな国)で行われた。奇しくもポーランドはアウシュビッツ収容所のあった地であり、私は2年前、ワルシャワでオープン直前のユダヤ人歴史博物館を館長に案内してもらった経験がある。

ロシア語、英語、ドイツ語、フランス語が自在な杉原(1900年生まれ)はソ連情勢を操る諜報活動に従事していた。外務省からモスクワに通訳官として赴任が決まるが、ソ連から「好ましからざる人物」として入国拒否を通知された。外務省入り前に満州国外交部勤務時代、命がけの諜報活動で日本の利益(ソ連に不利)に結びつく大手柄を立てたことが原因だった。(この命がけのシーンや仲間の白系ロシア人の美人スパイ、別の仲間複数を関東軍に射殺され彼が銃列を前に抗議する場面も息を飲んだ)

その後、バルト3国のひとつリトアニアに新たな領事館を開く任務を与えられ、妻とともに赴任。一軒家の門に「大日本帝国領事館」の看板を誇らしげに設置する。

同国初めての日本人。最初に入ったパブでも白い目で見られ、英語、ドイツ語、フランス語と次々にオーダーを試みるが無視される。ロシア語を使った途端、「ロシア語は話さない」とリトアニア人の強い拒否。(その後、ソ連邦崩壊までその一部として存在せざるを得なかった悲劇を感じる)

そこで杉原に情報網を交換しようと接近してきたのが、家族をドイツ軍に殺され、国を失い、隣国リトアニアに逃げてきたポーランド人の元軍人。杉原は彼の正体を言い当てたうえで運転手として雇い入れ、二人三脚でソ連やドイツの情報を集める。

ソ連軍が侵攻、アメリカ公使館が閉鎖されると、日本領事館の周りを取り囲むユダヤ難民(多くはポーランドから)が日に日に増えていく。この場面が圧巻だ。お金と目的地があればソ連は通過できるから、シベリア鉄道でウラジオストクに出て日本を通過し米国などに向かいたい、ビザを発給してくれというのだ。ユダヤ難民はナチス・ドイツに追われているから西や南には逃げられない。東に向かうしかないのだ。(実際、ソ連進駐の翌年、ドイツがリトアニアを襲い、残留していたユダヤ人は強制収容所に入れられる。)

日本政府からの了承が取れないまま、杉原はビザ発給を決めた。妻の同意を得て。外交官として失脚してしまうと、当初反対していたリトアニア人職員やポーランド人運転手もやがて力を貸すようになる。

リトアニアとユダヤ人と日本のビザ発給の関係性がやっと、はっきりわかった気がした。

リトアニアを脱出したユダヤ難民らはウラジオストクから海路敦賀へ。(そこから、さらに神戸、上海へと渡った者もいれば、米国に逃げ延びた科学者らもいた。)

リトアニア後の杉原はドイツに赴任。ドイツが独ソ不可侵条約を破り、秘密裏にソ連に侵攻を始めようとしている事実を戦車の通行量増加で調べ上げ、ピクニックの家族写真を装って戦車の列を撮影する。

「日独伊三国同盟で守られていると考えていても、ドイツがソ連と戦争を始めたら、日本を助ける余力はなくなる。日本が米国と単独で戦うなど無理だ」と大島大使にも伝えたが本国政府からの反応はなかった。ゲシュタポに狙われ、カーチェースまがいのことまで展開された。

ルーマニアで通訳官として終戦を迎えた杉原は1947年帰国。外務省からの退職勧告を受け入れ、47歳で辞職。その存在は外務省では長く消されたままだった。(今年夏、外交資料館の目立つ場所に発給相手のリストは陳列されていたが)

彼のビザ発給で救われたユダヤ人(イスラエル国民)が「杉原千畝」を探し続け、1960年代後半にやっと明らかに。1969年、イスラエルから勲章を授与され、1985年には同国政府から「諸国民の中の正義の人賞」という、ユダヤ人を救った外国人に贈られる最高の称号を贈られた。翌年、86歳で死去。

ユダヤ人を救ったドイツ人実業家シンドラーにちなんで杉原は「日本のシンドラー」とも呼ばれる。ただ、映画「シンドラーのリスト」は1994年のアカデミー賞で7部門受賞した。わが「杉原千畝」も、多くの人に見てもらいたい。

 

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