両国・義士祭に出席

IMG_20151214_10423312月14日、赤穂浪士の討ち入り現場となった吉良邸は、地元墨田区両国にある。旧町名は本所松坂町。連合町会主催の義士祭は昭和25年以来続いているが、数年前からは、赤穂浪士だけでなく、吉良上野介や藩主吉良公も共に供養している。 世間一般的には判官びいきで赤穂浪士の人気が高いが、両国の屋敷は討ち入られた側だし、吉良公は三河(愛知県)の名君と称された人だし、吉良公の家臣も殿を守ろうと命を落としたのだし、というわけである。義士祭、吉良祭と称し、直近の土日には元禄市が開かれる。
両国、千歳7町会の屋台のほか地場産業であるニット、皮ものなどの廉売に人が集まる。


今年の義士祭、市川博保連合町会長の話がよかった。
IMG_20151214_104211「両国は1702年この不幸な事件があってから吉良邸跡も町家に代わり、回向院を中心に盛り場となり(交通要衝の地として)薪炭、木材等を生業とする人々も集まり栄えた。」 両国に住んだ4人の大物の名を挙げた。うち3人までは超有名人。江戸の浮世絵師、葛飾北斎。母は吉良上野介の家臣の孫娘といわれ、養父(叔父)は本所松坂町の徳川家御用達鏡師。90歳まで生きた北斎は人生に93回引っ越したが、その大半を墨田区で過ごした。
勝海舟は両国に生まれ、「生誕の地」の石碑が両国公園内に立つ。咸臨丸艦長として初の太平洋横断を果たし、江戸城無血開城で江戸の人々を戦火から救った。芥川龍之介は生後7ヶ月で、本所小泉町(今の両国)に住む母の兄、芥川家に引き取られ、地元の幼稚園から江東尋常小学校(今の両国小学校)、東京府立三中(現・両国高校)から旧制一高、東京帝大に進んだ。この3人の前に1人だけ、私の知らない名前があり、勉強になった。江戸時代の大商人、塩原多助。群馬で生まれ、神田佐久間町の炭問屋に奉公、1784年本所相生町に炭屋を開店、一代で大身代を築いたという。本所亀沢に上屋敷がある津軽大名とともに「本所に過ぎたるものが2つあると言われた」と。

 

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