応援団OB物語 第7回(月刊『財界人』2004年5月号より転載)
バトン落とせど笑顔忘れず バッジにかける心意気

東京大学応援部バトントワラーズ責任者 松島みどりの巻(衆議院議員)

応援団といえば今やすっかり欠かせない存在となっているのが、華やかさを添え応援をより一層盛り上げるチアリーディング。1976(昭和51)年、 東京大学応援部にバトントワラーズをつくったのは衆議院議員の松島みどり氏だ。

 「最初は野球部のマネージャーになりたかったのよ」
 向かい合うこちらにまでエネルギーがビンビン伝わってくるような明るい笑顔と歯切れのよさ。応援部出身さもありなんとうなずける衆議院議員・松島みどり氏は、東京大学応援部にバトントワラーズ(現在はチアリーダーズKRANZと改名)を創設した立役者。その伝説は今も学内外に語り継がれる。

野球部にフラれて応援部の門叩く

 東京六大学野球リーグが誕生したのは1925(大正14)年のこと。伝統の早慶戦に明治、法政、立教、東大(当時は帝国大学)が加わってスタートしたが、東大はリーグ参加も一番遅れた上に、他の五校には揃う応援旗も応援部もなかった。したがって試合後のエール交換も、エールは受けるのみで返すことができないという状況だった。
 1946(昭和21)年の春には、戦時中数年間の中断を経て六大学野球リーグが再開された。東京大学応援部が創設されたのは、その翌1947(昭和22)年。のちに応援部は漕艇部やアイスホッケー部など様々な体育会の試合に欠かせない存在となるが、当初はまさに六大学野球リーグを応援するためにつくられたといっても過言ではない。

 時代は下って昭和50年代、野球部と応援部その両方に魅せられた女子東大生がいた。松島氏だ。
 駿台予備校に通うため上京、一人暮らししていたアパートは根津・東大野球部の寮近く。高校生の頃から大の高校野球好きだったこともあって、受験勉強の合間を縫っては神宮球場に足を運ぶ東大野球部の熱烈なファンだった。
 そして翌1976(昭和51)年春、桜の季節。赤門をくぐった松島氏が真っ先に野球部を訪れたのは言うまでもない。ところが当時の野球部はマネージャーであっても女子は入部禁止。高校野球とは違ってマネージャーもベンチに入るというのがその理由だった。そこで思い至ったのが応援部。神宮の東大学生席で懸命に応援する部員たちの姿が印象に残っていた。

 その頃、六大学応援団の中でバトンが存在しないのは東大と早稲田のみ。そのため東大応援部では、シーズン中1日だけ都内の短大のバトン部に来てもらうなどしていた。応援部に入った松島氏は同年の女子新入生176人全員にハガキを出し、東大にバトンを創設すべく同志を募ったのである。

 ところが道は思いのほか困難だった。理由はいくつかある。まず一つには、その頃流行っていたコミック『嗚呼!!花の応援団』の影響。ここに描かれているのは、まさに汚い男たちの集団といった世界で、女子学生の応援部に対するマイナスイメージを一層悪化させるに十分だった。さらに人前でミニスカートをはくことに抵抗を感じる女子学生も少なくなかった。なにしろ「パンタロンでやってもいいのなら……」という声もあったぐらいだから。
 そんな中、やっと一人の女子学生が入部を決意。たった二人の「東大応援部バトントワラーズ」の誕生だった。

黒子でありながら華でもある応援部

 当時は、他校でまだバトンのないところもあったため、応援の場は限られていた。春と秋の風のさわやかな季節、土日のたびに足を運んだのは神宮の六大学野球。緑あざやかな5月の連休は、戸田で行なわれる一橋とのボートの定期戦・東商戦。12月、底冷えする京都での京大とのアイスホッケーの定期戦では、リンク横で寒さに震えながらの応援だった。また、毎秋御殿下グランドで行なわれる学校行事の東大運動会では、入場パレードも行なったという。
 六大学野球の応援では、こんな思い出もある。
 「観客のほうを向いて踊るんですが、私はバトンが下手でトス(投げる)やイクスチェンジ(互いに投げて交換する)でバトンを落とすこともたびたび。落とすだけなら拾えばいいからまだいいんですが、あるときなどはイクスチェンジで後ろのフェンスにバトンが突きささってしまった(笑)。観客には笑われるし、それはもう恥ずかしかったですね。引き抜くわけにもいかないから、そのままにして踊り続けました」(松島氏、以下同)
 後輩に向かっていつも言っていたというセリフ、「バトンはうまい下手じゃない。笑顔で勝負」は自らに向けたものでもあったのか。だから自分につけたキャッチコピーが「バトン落とせど笑顔忘れず/いつもニコニコ愛想で勝負/元気はつらつ松島みどり」。しかも、このあと「惚れっぽいのが玉に瑕」と続く。
 昭和50年代前半の六大学野球といえば、2学年上に法政の江川卓、同期には早稲田の岡田彰布がいるなど最後の全盛期ともいえる時期だった。ところが、肝心の東大野球部は強くない。松島氏にしても4年間で勝った記憶は4、5回ほどという。
 「弱いからいいんですよ。負けているからこそ応援の意味がある。強かったら応援部なんていらない」とは言うものの、やはり勝利の喜びはたとえようもない。チームが勝てば観客は増えるし、拍手も大きくなる。応援するほうにしても、やりがいがあるというものだ。
 よく応援団は黒子、陰の存在などと言わるが、決してそれだけではないと松島氏。
 「たしかに縁の下の力持ちといった部分もありますが、でも、あれはあれで一つの華なんですよ。私たちバトンはそうでしたし、男性のリーダーにしても同じ。非常に目立つ存在でもあるんです。ファンレターが来るほどで」

神宮での花束と胴上げ 責任を全うしえた感慨

 応援部で過ごした4年間で、強く印象に残る出来事が二つあるという。一つは大学1年、5泊6日の夏合宿の後で応援部のバッジをもらったときのこと。東大応援部では毎年この合宿を終えて、新入生は初めて正式に部員として認められる。東大のマークであるイチョウをかたどったバッジには、二つのローマ字――リーダーのLとブラスバンドのBを組み合わせて印されている。これを手渡されるときに先輩の口にした言葉が今も心に残る。
 「これからの応援部はリーダー&バンド&バトントワラーズ、このBには二つの意味があるということだったんですが、本当に嬉しかった。このとき、どんなことがあっても4年間続けたい、続けることに意味があると思ったんです」
 一口に続けるといっても、決して簡単なことではない。自分が挫折しないのはもちろんのこと、毎年必ず新入部員を確保しなければならないからだ。応援部の一員として認められた感動と、責任の重さがつまったバッジは今でも松島氏の大切な宝物という。
 もう一つの出来事は4年の秋、最後の踊りとなった神宮での立教戦だ。試合終了後、リーダー板に応援部と野球部の4年生が全員乗り、一人ずつ紹介された後に観客が見守る中で下級生たちから渡された花束。そして球場を出てからの胴上げ。
 応援部に入って初めて触ったバトン、たった一人の同期女子学生の退部――いろいろなことがあった4年間だった。自らつくり上げた東大応援部バトントワラーズを存続させ、無事に次の世代に引き継ぐことができるだろうかという不安にかられることも少なくなかった。
 「駒場の教養課程はサボっていたんですが、3年になって経済を勉強するようになるとおもしろくなって二つのゼミを掛け持ちしていました。それから週2日の家庭教師のアルバイト。土日は応援がありますからアルバイトは入れないんですが、土日が雨だったり東大が一勝一敗になったりすると月曜にずれ込んでしまう。もちろん勝ってほしいけれど、そうすると月曜のアルバイトに響くわけです。ですから神宮から家庭教師先に電話を入れて曜日や時間を変えてもらうこともたびたびでした」
 バトンにゼミにアルバイトに全力投球の日々。そして、もちろん恋も。神宮球場で花束と胴上げを受けたとき胸に去来したのは、まさに自らが決めたことをやり遂げた、責任を全うしえたという感慨だったのである。
 当時はリーダーとブラスバンド、バトン合わせて40名程度だった応援部も、現在では総勢80名にも及ぶ大組織に成長している。しかも、バトンから改名したチアリーダーズは1学年平均で7、8人、多い学年では10人ほどいるというから、松島氏の思いは時を経て確実に受け継がれているといっていい。

決めたことはやり貫く姿勢は今も変わらず

 1980(昭和55)年に経済学部経済学科を卒業後、朝日新聞社に入社した松島氏は、経済部と政治部の記者を中心に15年間勤め1995(平成7)年に退職。自民党東京都連新人公募に応募し1番で合格する。そして翌年の総選挙で東京14選挙区(墨田・荒川)から立候補するものの僅差で敗れ、2000(平成12)年総選挙で比例区東京ブロック第1位で初当選。昨秋の総選挙では現職3人が競う全国でも稀な選挙区で激戦を制し、現在2期目を務める。
 「今にして思えば、私はゼロからつくり上げることが好きだったのかもしれません。そして一度決めたことは意地でもやり通す。しかも『初めて』とか言われると張り切って頑張っちゃう(笑)」
 なるほど政治家としての道を選ぶときも、自民党初の新人公募に自ら名乗りをあげたことがきっかけだった。選挙区にしても、知り合いは5人だけという地盤看板何もない地でのチャレンジを選んだ。その姿勢は19歳――東大応援部の門を叩いたときと何ら変わっていない。
 今、松島氏の左胸には議員バッジが光る。「今もこんなことをして、なんかバッジにこだわり続けているみたい」と笑うが、バッジにかける信念と責任感は誰よりも強く、そして熱い。松島氏にとってバッジは自分が進みゆく道を示す証であり、自らを鼓舞する原動力でもあるのではないか。
 バトンで培ったさわやかな笑顔と持ち前の行動力で、今の閉塞した日本そして政治に喝を入れてほしいと大きな期待がかかる。

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